2008-10-17 第170回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第3号
当時、それこそ松野鶴平先生から頼三先生にかわっていたよね、あなたの顔を見て思い出したわけじゃないけれども。頼三先生にかわっていたんですが、あの時代に、基本的に、岸内閣のときから始まるんですけれども、安保条約の改定と沖縄返還と二つあった、あのとき。それは岸さんも言ったし、佐藤さんも言ったの。
当時、それこそ松野鶴平先生から頼三先生にかわっていたよね、あなたの顔を見て思い出したわけじゃないけれども。頼三先生にかわっていたんですが、あの時代に、基本的に、岸内閣のときから始まるんですけれども、安保条約の改定と沖縄返還と二つあった、あのとき。それは岸さんも言ったし、佐藤さんも言ったの。
当時の議長は松野鶴平さんでしたが、あの人がでんと座られておって、参議院は衆議院に対しアヘッドだったんですよ。それは支配されていませんでしたよ。欠点もありましたよ、当時の参議院は。いろいろ経験を積み重ねて、本日どうしても政治改革をやらにゃならぬというこの時期に来ているわけです。ところが、最近見ていますと、参議院の各党会派も衆議院に少し姿勢がどうかなと、私は寂しい気持ちを持っているわけです。
熊本電鉄といえば、これは言うまでもなく、松野鶴平氏以来の松野一族の会社でありまして、現在、その社長、代表取締役は松野頼三氏であります。 全部買おうとしたんですが、問題がありまして——どこが問題かというと、ゴルフ場として農地を買ったんですが、農地をゴルフ場にするということは、これはもういけないというんで、一定の制限がありまして、全体の二〇%しかこれは農地にできない。
○久保亘君 いまお父さんの松野鶴平氏がお亡くなりになったのは三十七年の暮れだと申されました。私どもも三十七年の十月十八日と記憶いたしております。そうなりますと、あなたが防衛庁長官在任中に高畑さんから電話があったというときに、まさかお悔やみを述べられたわけじゃないでしょう。お亡くなりになってから三年たっておりますね。
「昭和三十一年六月二日午前八時三十七分、時の参議院議長松野鶴平氏の要請をいれて、警官隊が議場に入った。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律案」、つまり教育委員会を公選制から任命制に切りかえる法律案の決議直前だった。やがて乱闘がおこった。翌日の新聞には、社会党の議員が議政壇上におどりあがっている姿、堂々たるわれらの選良がつかみあっている姿がデカデカと掲載された。
記 1 林野雑産物補償の受給資格について (イ) 政府は、参議院議員山本伊三郎提出の林野雑産物補償の受給資格に関する質問に対し、昭和三十六年十月二十七日内閣総理大臣池田勇人から参議院議長松野鶴平あて答弁書を示されたが、その見解は、現在においても変更なきものと思うがどうか。
私もまた、父、治一郎と特に党派を越えてじっこんでありました松野鶴平翁に兄事される佐藤総理に、これまでの御苦労に対しての敬意を心から表しておるものであります。 山に登るには幾つかの登り口があります。大蔵口もあり、総務口もあり、教育口もあれば労働口もありましょう。どの登り口を選ぶかは問題ではありません。問題は二つ、方向を誤らないこと、最後まで登ることであります。
ことに名前の出ました松野鶴平翁、これは私の大先輩で、政治指南番でもありました。この松野鶴平先生は松本治一郎先生ともたいへん仲のいい方でありました。
それから緒方竹虎、頭山満、石井光次郎、それから松野鶴平、そういう方々が、この柴田も入れてつくった。そのときの学校なんですよ。そのとき国士舘というものをつくった。
すなわち、昭和三十七年度分につきましては、故議員松野鶴平君及び園木登君、昭和三十八年度分につきましては、故議員手島栄君、武藤常介君及び杉浦武雄君の遺族に対する弔慰金であります。 以上はいずれもそのつど議院運営委員会の承認を得て支出したものでありますが、ここに国会予備金に関する法律第三条の規定によりまして、本院の承諾をお願いする次第であります。(拍手)
○事務総長(河野義克君) 先般、特別職の職員の給与に関する法律の一部が改正され、これに伴いまして、国会議員の歳費も昨年十月に遡及して増額されましたので、同年十月以降に亡くなられました本院議員松野鶴平君及び同じく園木登君の御遺族に対する弔慰金につきましては、その差額六万円をそれぞれ追加支給いたさなければならないこととなりますが、これを本院予備金から支出することといたしたく、国会予備金に関する法律第二条
記 録 部 長 佐藤 忠雄君 警 務 部 長 渡辺 猛君 庶 務 部 長 小沢 俊郎君 管 理 部 長 佐藤 吉弘君 管理部副部長 浅井亀次郎君 渉 外 部 長 森 純造君 法制局側 法 制 局 長 今枝 常男君 国立国会図書館側 副 館 長 岡部 史郎君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○議員松村秀逸君及び松野鶴平君逝去
○事務総長(河野義克君) 本院議員松村秀逸君には、去る九月七日、東大付属病院において胃かいようのため、また松野鶴平君には、去る十月十八日、日本医科歯科大学付属病院において糖尿性昏睡のため逝去せられました。まことに哀悼の至りにたえません。
○松本治一郎君 本日、ここに、諸君を代表いたしまして、前議長松野鶴平君の追悼の言葉を述べなければならないことは、私の最も悲しみとするところであります。 顧みますれば、松野鶴平君は、昭和三十一年四月、わが参議院四代目の議長に御当選以来、実に六年有余にわたってその重職を全うせられ、去る八月、議員諸君に惜しまれつつ議長の職を退かれましたことは、私どもの記憶に新たなるところであります。
昭和三十七年十二月八日(土曜日) 午前十時五十三分開議 ━━━━━━━━━━━━━ 議事日程 第一号 昭和三十七年十二月八日 午前十時開議 第一 議席の指定 第二 会期の件 ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、日程第一 議席の指定 一、新議員の紹介 一、故議員松村秀逸君に対し弔詞贈 呈の件 一、故議員松村秀逸君に対する追悼 の辞 一、故議員松野鶴平君
○議長(重宗雄三君) 議員松野鶴平君は、去る十月十八日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。
杉山善太郎君 亀田 得治君 千葉 信君 小酒井義男君 九月二十五日 辞任 補欠選任 亀田 得治君 杉山善太郎君 十月一日 辞任 補欠選任 小酒井義男君 大倉 精一君 十月十一日 辞任 補欠選任 杉山善太郎君 藤田 進君 十月十五日 辞任 補欠選任 辻 武壽君 柏原 ヤス君 十月十八日 委員松野鶴平君
昭和三十七年八月十三日(月曜日) 午前十時四分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 松野 孝一君 理事 井川 伊平君 理事 亀田 得治君 井野 碩哉君 加藤 武徳君 松野 鶴平君 加瀬 完君 千葉 信君
次に、前議長松野鶴平君並びに前副議長平井太郎君に対し、感謝の意を表するものであります。 松野鶴平君は、引き続き三回本院の議長に当選せられ、六年有余の長きにわたり、その重責を全うしてこられました。
去る三日、議長松野鶴平君から辞任願が提出されました。 辞表を参事に朗読させます。 〔参事朗読〕 辞 任 願 先般の通常選挙により参議院は議院の半数が改選された。よつて改選後初の国会が召集されたこの機会に参議院議長を辞任いたしたい。 右御願いする。 昭和三十七年八月三日 参議院議長 松野 鶴平 参議院事務総長河野義克殿
○議長(重宗雄三君) 松野鶴平君から発言を求められました。——この際、発言を許します。松野鶴平君。 〔松野鶴平君登壇、拍手〕
○議長(松野鶴平君) これより本日の会議を開きます。 日程第一、議席の指定。 議長は、本院規則第十四条により、諸君の議席をただいま御着席のとおり指定いたします。 暫時休憩いたします。 午前十時十六分休憩 〔休憩後開議に至らなかった〕 ————・————
小平 芳平君 天田 勝正君 加賀山之雄君 委員 青田源太郎君 天埜 良吉君 鹿島 俊雄君 北畠 教真君 宮澤 喜一君 山本伊三郎君 村尾 重雄君 ————— 議 長 松野 鶴平
○議長(松野鶴平君) 御異議ないと認めます。
天田 勝正君 小平 芳平君 杉山 昌作君 加賀山之雄君 委員 天埜 良吉君 石谷 憲男君 鹿島 俊雄君 北畠 教真君 佐野 廣君 豊瀬 禎一君 ————— 議 長 松野 鶴平